「ガイ、さよなら、ね」
そう言って、一瞬で俺の前から姿を消した彼女の最期の微笑みを、
俺は決して忘れないと、誓った。
< 鳥に為りたいと君は願った >
「ガイ、またサボって何してるの?」
ひょいと、俺の顔を除きこむ女の子。
俺が居眠りをしているとどこからかすぐにやってくる、ファブレ公爵家のメイド。
「何って…見て解るだろう? 居眠りだよ」
「そっか。今日は暖かいものねー…」
彼女は、――は、空を見上げて微笑んだ。
「…こそ、サボりじゃないのか?」
「あたしは旦那様に暇を頂いたの。…今日も、身体の調子が悪いから…」
の身体は血中フォニムの巡りが悪く、体調を壊しやすい。
彼女にとって日光浴は、何よりもの休息になる。
「ここはいつでも光が優しいね。ルーク様のおかげかしら」
「…ルークの?」
「『聖なる焔』様だもの」
「そういう事ね…」
一瞬、ルークに何故かむっとした。
が急にルークの話をするから…
「ルーク様は、今頃お勉強の最中かしら。きっと先生の目を盗んで、ガイみたいに居眠りしているのでしょうね」
くすくすと笑う。
その笑顔で、俺は心が落ち着くのを感じた。
「本当…あなた達は兄弟のようね」
「兄弟? 俺とルークが? やめてくれよ、あんな手のかかる弟…」
「口ではそう言うけど、本当は大好きなのよね。…お兄さん」
「ははっ、やめろって」
ルークの兄貴か…悪い気はしないけどな。
「…ねぇガイ。あなたは、為りたいものって…ある?」
「為りたいもの…?」
「あたしはね…鳥に為りたい」
尚も空を見上げながら。
は真剣な瞳でそう言った。
「鳥に…?」
「だってあたし、いつ死ぬか解らないもの。…フォニムが乖離して、ただ空に溶けていくなんて絶対に嫌。
だから、鳥に為って世界中にばら撒くのよ。…『あたし』を形作る、このフォニムを」
胸に手を当て、は瞳を閉じた。
そう、彼女の身体は、すでに限界を超えていた。
いつ、何の拍子にフォニムの乖離が始まるか…その時にならないと、誰にも解らない。
「は…まだ、鳥に為れないよ」
「えー?」
「まだ……為らないで、くれよな」
「…………えぃっ」
は、そう言う俺に抱きついた。
「うわっ!? は、ははははは離れ……っっ」
「為らないよ」
「!」
「まだ…為りたくないよ」
「…」
「だから。…もうちょっとだけ、こうさせて」
震える声で、は腕に力を込めた。
「……」
彼女の恐怖に比べたら、
「…ああ」
俺の女性恐怖症なんか、比べようもないくらい…
そう思っていたら、俺の震えなんか、止まっていた。
――数日後。
「?」
いつもが掃除している廊下には、違うメイドが箒をかけていた。
「あ…ガイ…」
メイドは急に表情を変えると、俺から視線を離した。
「…は…?」
「あ、あの…その…」
明らかに態度がおかしい。俺はかっとなってメイドの肩を掴んだ。
「は何処だ!?」
「あ…っあぁ…っ」
ついに、メイドは泣き出してしまった。
「あ…ごめん…」
「違…違うの…っ、は…――っ」
メイドの言葉を耳にし、
「え………?」
俺は、一目散にその場を走り去った。
『――は、今朝…フォニムの乖離現象の初期症状が現れて…』
『――奥方様は気を失われて…旦那様はを病院に運ぼうとなさったんだけど…は…』
『――……「空が見たい」って……』
は…空を見に行ったんじゃない。
…鳥に為りに行ったんだ。
「!! !!」
中庭、丁度ルークの部屋から真向かいに位置するその壁の上に、はいた。
「……ガイ…」
いつもと変わらない表情で、こっちを振り向く。
「危ないだろ! 早くこっちに…!!」
「意外とね、覚悟って…できちゃうものなのね」
「!」
「今朝、初期症状が出て…『あぁ、ついに来たんだ』って…あたしだけ、落ち着いてた」
いつもと変わらない瞳で…空を見上げる。
「あたしね…鳥に為れるんだよ」
「や、めろ…頼むから…!!」
「ねぇ、ガイ」
俺の声を遮るように、は俺に呼びかける。
「あなたは、為りたいものが、ある?」
「……俺は……!!」
俺は…お前の………。
…なんて…言えない。
「…あなたが何処へ行く事になっても、あたしはあなたを見守っているわ。いつか、あなたが為りたいあなたになれるまで」
そして、変わらない微笑みで、
「だってあたしは、世界中を旅するんだもの」
は、
「ガイ、さよなら、ね」
右足を一歩、――空へ踏み出した。
「あ………!!!」
ゆっくりと、光を帯びながら、
「!!!!!!」
俺の視界から、消える。
俺は急いで壁の上へ登り、下を見下ろして――
「!!!」
視界を遮る…――たくさんの、純白の鳥達。
「……………?」
空高く、羅列を組んで飛び去っていく鳥達。
どこから現れたのかは、解らない。
「……」
空から舞い落ちてきた、一枚の、純白の羽。
それを手に掴んで、俺はもう一度空を見上げた。
あれは、だったんだろうか。
そうじゃなくてもいい。
だから、どうか鳥達よ。
その背に乗せて、彼女を世界に連れ出してやってくれ――……
end.