ある国に、一人の姫君がおられました。
その姫君は全ての国民から愛され、未来を期待されたお方でした。
しかし姫君は幸せではありませんでした。
例えどれほどの者に愛されようと、どれほど期待されようと、
姫君は、『たった一人』を欲しがっていたのです――……
<ただ一人、それでも切に望むなら>
「……」
悲しそうな目で、インクのついた羽を机に置く。
少女はため息をつくと、そのまま、大半が白いままの本を閉じた。
「…一人、かぁ…」
白いドレスを身にまとい、整った顔立ちの少女――。
彼女は、一国の姫君である。
自分の事を本に残そうと思ったのはいつだったか。
自分が死んだ後でもいい。
自分の思いを、誰かに知って欲しくて。
私はただ、寂しかっただけなんだ、と。
「……私…何をしているのかしら…」
「姫」
扉の向こうから、聞き知った声が聞こえた。
「! フェイタン!! お入りくださいっ!」
突如、は明るく表情を変える。
そして、入ってきたフェイタンに、思い切り抱きついた。
「フェイタン! 戦から帰られたのですね…良かった、ご無事で…」
「姫の願い、臣下であるワタシが破るはずが…」
「でも嬉しいのですっ!」
将軍である彼、フェイタンとは、特別仲がいい。
もう数年前になる。フェイタンが将軍としてじゃなく、と出会ったのは。
「姫…ワタシは、国王に報告があるので…これで」
「もう行ってしまわれるのですか…?」
フェイタンは こくりと頷く。
「まだ、私の名を呼んでは下さっておりません…」
「また言うのですか」
「だって、役職を剥がせば、ただの街娘と、それを助けてくださったただの旅人です」
そう、二人が始めて出会ったのは、数年前の城下町。
が城下町へ一人で抜け出した時、争いに巻き込まれたを助けたのはフェイタンだった。
「…解たよ。……、ワタシはもう行かなくてはいけないね」
「………」
は、じっとフェイタンを見つめると、やがて笑いだした。
「ふふっ、やっぱりフェイタンに敬語なんて似合いませんわね」
「…仕方ないね。仕事よ」
「仕事?」
「いや…何でもないね」
それだけ言うと、フェイタンはの部屋から出て行った。
「仕事…将軍職のことかしら」
はもう一度閉じた本を開くと、また羽を手に取った。
――姫君が待ち遠しく思うのは一つだけなのです。
たった一人なのです。
でもその人が、本当の『たった一人』なのかは解りません。
だけど、その人の帰りを待ち遠しく思うのは、何故でしょう。――……
「あなたは…私の、『たった一人』?」
は微笑むと、そのままベッドに深くもぐりこんだ。
城の夜は長い。
全ての情景が漆黒に染まり、何かをごまかすような闇が、あたり一面に広がる。
「………」
フェイタンは見回りの途中、廊下に隣接しているベランダに出て、携帯の電話に出ていた。
「あぁ、団長か……解てるよ。抜かり無いね」
言って、通話を切る。
細めた瞳で見上げれば、少し遠くにの部屋の窓が映し出された。
「はぁ…」
はその日、体が重く感じていた。
腕を上げるのも疲れるほどに。
「そろそろ…なのかな」
「、入るよ」
ふと声が聞こえ、返事を待たずに扉は開いた。
「! …フェイタン……?」
フェイタンは、いつもの甲冑姿でなく、初めて会った時に着ていた、黒の服を着ていた。
「…どこか、お出かけになられるので?」
「あぁ。…遠い所へ」
「…いつ、お戻りに?」
「…もう、帰て来ないね」
「!」
口元が見えないフェイタン。
しかし、の耳元には確かに届いた。
「…そう、ですか。なら…仕方ない、ですね……」
声が震える。
必死な笑顔が歪みだす。
真っ直ぐにフェイタンが見れない。
「…」
「え…」
瞬間、
フェイタンはを抱きしめた。
「フェ、フェイタン…っ!? お止め下さ…っ」
「――一緒に来るね」
「!」
「…ワタシと…一緒に」
「――駄目なの」
は、フェイタンの胸を軽く押しのけた。
「…?」
「駄目なの。私は、ここから出られないの」
呟くように言う。
「私…不治の病にかかってるの」
「!」
「…城から出たら…どうなるか解らない…」
「…」
「いたぞ、賊だ!!」
「!?」
勢い良く開いた扉から、大勢の兵士たち。
「貴方たち…!? 此処を何処だとお思いですか! 控えなさい!!」
「姫様っ、そいつは…!!」
「!」
急に、は後ろから羽交い絞めにされた。
「フェイタン…!?」
「貴様…将軍に成りすまし、一体何の目的だ!! 姫様を離せ!!」
「…、また来るね」
「! フェイタン…・・・!!」
拘束から解け、振り向いた先には、もうフェイタンはいなかった。
「!!」
閉めていたはずの窓が開いている。
は思わず窓から外を見回した。
「姫様、ご無事ですか!?」
「…一体…何事なのですか……これは……」
覇気の無い声で言う。
「…奴は……陛下お二人を、…殺害されました。…奴は賊だったのです」
「!?」
は目を見開き、兵士に詰め寄る。
「お父様と…お母様が…!?」
「…はい」
悔しそうに言う兵士を見て、は悲しみに顔をゆがめた。
「嘘よ…そんな、フェイタンが……?」
「姫様…?」
目の焦点が合わなくなる。
フラフラする。
どうしようもなく、立っていられなくなって…
「姫様!!」
は、その場に倒れた。
目覚めたのは数時間後。
夜明けの光が差す、うっすらと赤い光の中。
赤く染まる床の中には、
確かに、両親だった物があって。
――これはまだ、夢の続き?
答えなど、返るはずも無く。
夜中になっても、大臣は忙しく今後の対応に追われていた。
はその頃、一睡もできず、ただ自室で呆然と立ち尽くした。
灯りの無い部屋は、月明かりだけが、を不気味なほど美しく照らす。
放心した瞳が向けられているのは窓。
「……」
は頭の中で文字をつむいだ。
――どうして恨めないのでしょう。
どうして憎めないのでしょう。
本当に望むものでなくても、
大切だったものが壊されたのに、
どうして貴方を、嫌いになれないのでしょう。――……
「……フェイタン…」
「」
「!」
ばっと視線を上げると、窓からフェイタンが入ってきた。
「迎えに来たよ」
「…嫌……」
は一歩後ろへ下がる。
「どうして…お父様とお母様を殺したの……? …何が目的だったの? っ貴方は誰なの!?」
だんだん声を上げ、最後の一言には涙が溢れていた。
「…全て話すね」
フェイタンは宥める様にの顔を覗きこみ、をソファーに座らせた。
隣に自分も座ると、一息おいてから、また口を開いた。
「ワタシは、盗賊ね。この国に来たのも、将軍職に就いたのも、全てこの城にある宝を頂くためよ」
「…宝…?」
「貴重な物らしいね。ワタシにはよく解らないよ」
「解らないって…フェイタンが盗ったのに…!!」
「団長命令ね。深くは聞いてないよ」
「…上からの命令で…関係の無い二人を殺したって言うの…?」
「………それは否定できないね」
「っ!!」
静かな部屋に、ぱぁん、と、軽快な音が響いた。
「…最低……っ」
の平手を素直に受けるフェイタン。
「…どうして…こんな私から何かを奪うの? いつ死ぬか解らないこんな体で…私は望むものも手に入れる事を許されずに、しかもあるものまで奪われなくてはいけないの!?」
「、落ち着くね」
「落ち着いてなんかいられないよっ!! 私…私はっ !?」
急に、心臓に衝撃が走る。
「ぅっ……」
「!!!」
思わずひざを着き、息を荒げる。
「大丈夫…ただの発作…」
「…、やぱりワタシと…」
「あなたに何が解るのっ!?」
は胸を押さえながら叫んだ。
「あなたはいいじゃない…っ、自由に動ける体を持って、自分のしたい事が何でもできて、…強くて…!!」
顔を上げるの頬に、涙。
「私に無いもの…たくさん、持っているのに……!!」
「…ワタシの手の中には…きと、本当に望む物など入てはいないね」
「!」
「今ワタシが一番欲しくて、望んでいるものは…だからよ」
涙が、止まった。
「…本当に……?」
「本当ね」
月明かりが、眩しい。
「、大丈夫か?」
二人は城下町を離れた丘の上まで来ていた。
「平気……大、丈夫…」
フェイタンの背中に負ぶさり、は熱で高潮する頬を気にしながら言った。
「…やっぱり…最後の発作……やばかったのかな…」
「しかりするね! まだ…まだ逝かせないよ」
フェイタンはスピードを上げ、一気に丘を登りきった。
「……城だ…」
丘から見下ろす城と城下町は、夜の闇の中、光が満ち溢れていた。
「私は…あんな狭い所で…」
「そう、世界は広いね」
フェイタンはを座らせ、自分も隣に座った。
「にこの景色を見せたかたね。城の中が、どれ程小さな世界だたかを」
「……有難う…」
の瞳が、景色を滲ませる。
やがて眩暈が起こり、耐え切れなくなって、フェイタンの肩にもたれかかった。
「綺麗だね……街の光も、星の光も……、大地と空が包み込んでくれてるみたい……」
丘から見る空は、小さな窓から垣間見えるものよりずっと大きく、明るい。
「ねぇ、フェイタン…ずっと、ずっと前から……大好きだったよ……」
「……」
フェイタンは、力なくうなだれるを見て、目を閉じた。
「…もう少し…待てくれても…良かたのに……」
震えそうになる声を抑えながら、フェイタンは強く、を抱きしめた。
「…ワタシも、が好きだたね……」
フェイタンは、その腕を離さなかった。
月が傾き始めても、
冷たい風が吹こうとも、
冷たくなったを、抱きしめ続けた。
――姫君は、『たった一人』を見つけました。
もう、側にはいられないけれど。
確かに心繋がったその瞬間。
姫君は誰よりも幸せな気持ちに包まれて、
愛する者の腕の中、二度と目覚めぬ眠りに、ついたのでした。――
end.