夜がこんなにも明るく思えるなんて、
あの日まで、考えもしなかった。
第一章
覚醒と犠牲
結局、夜明けまでに目的地には着かないようで、とヒソカは丘の大木の下で眠りに着く事にした。
「……」
木の向こう側にヒソカはいる。
当然、まだ眠ってはいないだろう。
「…兄上、この近くに村があったようにお見受けしますが…そちらに行かれては?」
「こんな時間に迷惑だろう?」
「…兄上にそのような常識があったとは…」
「キミの中のボクは何処まで落ちてるんだい?」
「今尚、落ち続けております」
「底なしか☆」
一旦止まる会話。
舞い戻る静寂。
ヒソカから会話が来る事は無い。
解っているのだ。
は夜の静寂を嫌う。
放っておけば、から話しかけられる事を。
そしても、それを知っているからこそ腹立だしくなる。
「…では逆に……私は貴方に――何処まで暴かれているのでしょうか」
凛とした声が、ふと静寂を突き破った。
そして、先程とは少し違う静寂が流れる。
木を挟んで背中合わせのヒソカから、オーラが溢れ出していたからだ。
「ヒミツw」
「そう仰られると思いました」
「以心伝心かい? 嬉しいなぁ☆」
「生憎ですが私と貴方の間に精神性の繋がりは皆無です」
「…いや、在るよ」
急に真剣な声をしたかと思うと、ヒソカはトランプを一枚引いた。
「…行きなよ」
それは、を理解している一言だった。
「やはり私は…貴方に暴かれているようですね」
は苦笑すると、ゆっくりと丘を下っていった。
「……」
ヒソカは手に残ったカードの絵柄を見る。
「……キミの奥底は…そう簡単には暴けない…w」
掌のジョーカーが、不適に笑った。
ヒソカの常識は、正確には正しくない。
「………」
道を進むに連れ、村の方向から村人の声や音楽、光が大きくなっていった。
は知っていた。
今日はその村で、聖夜祭があるのだ。
何も知らず、幻の平和を祝う、愚かな人間の。
「…お、旅人さんかい?」
村の門番は、を見て声をかけた。
「夜分遅くに申し訳御座いません。今宵は何のお祭りごとで?」
「今日は年に一度の聖夜祭だ! 数年前、偉い巫女さんが、この地に住む悪魔を封じてくれたってぇ日だよ!」
「…そうですか……悪魔、ですか」
途端、の微笑みに変化が現れる。
酔いの回っている門番は気づかない。
「まぁ目出度い日だ! アンタも参加するといい。入りな!」
門番に通され、は一礼してから村へ足を踏み入れた。
表情が変わる。
微笑みさえ、残されていない。
村の広場を歩く。
騒いでいる村人は特にを気にしなかった。
しかし、
「……」
「! 嬢ちゃん、あんまし近付くと危ねぇぞ」
広場の真ん中に鎮座している大きな石碑の前まで来ると、流石に村人も声をかけた。
しめ縄のかけられている石碑からは、ただ冷気だけが漂ってきた。
「それは何年か前に、異国の巫女様が悪魔を封印して下さった石碑だ。下手に近付いて封印が解けちまったら適わねぇからな」
「そうそう、アンタみたいに物腰の柔らかい清楚な方だったよ。名前は、えぇっと…」
「……――棗」
初めて声を聞いた村人は、その美しい声に聞惚れた。
しかし、門番と同じく気づかない。
その声の裏にある、底知れぬ深い憎しみに。
「そうそう、棗様だ!! 随分笑顔の可愛らしいお人でだなぁ……」
「そうですか…あの女、まだそのような魔性を被ってのうのうと生き遂せているのですか」
「あ? 何だって?」
「やっと見つけました。――これで、三つ目」
は着物の内から日本刀の柄を覗かせた。
「走れ、紅吹雪。――閃光の如く」
そして、一瞬。
「!!」
刀を抜いたか仕舞ったか、誰にも解らぬ速さで、
一瞬の閃光が走った。
「! せ、石碑が!!」
閃光が石碑を駆け抜けると、石碑は真っ二つに割れ落ちた。
「な、なんて事を!!」
「テメェ何者だ!!」
すると、石碑から白い影が浮き出てきて、の方へ舞い降りた。
刀を差し出す。
「………――お帰りなさい」
白い影は、すうっと、刀へ入り込んでいった。
「……」
はそのまま踵を返した。
「待ちな」
しかし、簡単に帰してくれるわけもなく、
武器を備えた村人によって、道は封鎖された。
「…お通し下さい」
「はっ! 悪魔取り込んだ娘を、見す見す帰せるわけねぇだろ!」
「悪魔……」
瞬間、村人たちは殺気に固まる。
「愚かな方々…あのような女狐に騙され、この地が果て行くのも知らずに……」
もはや情の残らぬ瞳で村人を睨み付ける。
その瞳に、動ける者はいない。
「……通して、頂けますか」
が一歩、また一歩と足を踏み出す度、村人は這いずる様にして道を開けた。
そして、道が開けたその次に、刀を持った男が立っていた。
「…邪魔をなさいますか」
「あぁするね。大事な石碑をアンタは斬っちまったんだ。責任の一つも取ったらどうだい?」
「私には何の責任も御座いません。罪深きは無知な貴方がたです」
は右手の日本刀を鞘に戻すと、真っ直ぐに男と向き合った。
「…オレを相手に素手…? 嬢ちゃん、あんまし大人をなめてんじゃねぇぞ」
「貴方に我が刀、紅吹雪を振るう必要は御座いません。そちらも、女と甘く見ない方が宜しいかと」
「はっ、吼えてんじゃねぇぞ」
瞬間、村人の視界から二人が消え――
「!!」
瞬きの直後には、刀と鞘が激しい音を立てぶつかり合っていた。
「中々やるな」
「優れた刀の鞘は、丈夫に出来ているものですから」
「ほざけ!!」
男はと距離を取ると、刀を構えた。
「っそれは……!!」
にやりと笑う男を中心に、風が巻き起こる。
はその構えに覚えがあった。
「死ねぇ!!」
男が刀を振り下ろした瞬間、圧縮された風が地面を這ってに向かった。
「早い…っ!?」
は袖から一枚の御札を取り出すと、眼前に構えた。
その瞬間、風はを包んだ。
「はははっ!! 直撃じゃ生きてはおれん!! 流石、棗殿がオレに伝授なされた技だ!!」
「やはり…棗ですか……」
「!!」
風が止み、中から姿を現す。
左腕からは、血が流れる。
「な、何で生きて……!?」
「守護の札の効果です。しかし、やはり貴方はお強い」
は腕を止血すると、男を真っ直ぐに見た。
「教えて差し上げましょう。この技はそのように大きく見せて、威力を無駄に落とすものでは御座いません」
「何っ!?」
は刀を抜くと、頭上に掲げた。
「湧き立て、紅吹雪――龍気の如く」
言って、刀を振り下ろす。
先程の男のようには、風も何も起こらない。
「…はっ、何の脅しで……――!!」
男は足元の異変に気づく。
が、時既に遅し。
「……――奥義、地烈風雅」
その瞬間、男が立っていた地面から、圧縮された竜巻が巻き起こった。
「ぐ、ぐあぁぁぁぁっっっ!!!!!」
すぐに男の姿は風に阻まれ、見えなくなる。
「地に隠れ、的確に相手の位置から沸き上がらせる…その威力は、時に大砲すら超える……我が奥義」
が刀を鞘に戻すと、風は止まった。
中からは、意識を維持するのがやっとの男。
「お前の、だと……?」
「あの女が何を言ったのか…私の知った事では無い。だが、二度と我が奥義を穢すような真似はしないで頂きたい」
戦う以前と、雰囲気も話し方も変わったに、恐怖を覚えぬ者はいなかった。
「…何故、手加減した」
男は声を強張らせながら言う。
誰もがの言葉を待った。
は答える。
「貴方を殺めても、私には何の得も御座いません」
途端、村人の身体は軽くなったように感じた。
辺りに渦巻いていた空気は一瞬にして溶け落ち、その柔らかな笑顔がもたらすのは安らぎだけだったのだ。
「手荒な真似をして、申し訳御座いません。貴方なら三日で直る傷ですから、ご安心を」
「……なめてかかったのは、こっちだったか…」
男は苦笑いをもらす。
「一つ、お教え頂けますか。…棗の事を」
男は少し身を強張らせる。
自分に向けられたものでなくとも、からの憎しみの波動が、恐ろしいまでに響く。
「…もう、五年位昔の話だ。棗殿は、アンタみたいにふらりとやってきて、悪魔をあの石碑に封印なさった」
「何故、悪魔などという不可思議なものを信じられたのですか?」
「そん時の村は荒れ果てていた。雨は降らねぇ、畑は乾く、折角実った山の木の実も動物共が荒らしちまう。そんな時に、棗殿は現れたんだよ」
「…相変わらず汚い手を」
「!」
また、から殺気が放たれる。
の瞳が変わる。
「それは全て……棗の自作自演です」
「何…?」
「棗があれに封印していたのは……悪魔などでは無い」
その時、広場の至る所にある焚き火が、一斉に消えた。
「な、何だ!?」
「この地に住まうのは…――天邪鬼です」
「天邪鬼…!?」
「棗が『悪魔』を封じた後、村は栄えましたか?」
「あ、あぁ…雨も降り、飢餓は救われた」
「それは、封印されても尚、貴方たちを守り続けた者のお陰です」
闇が一層濃くなる。
何処からか、笑い声が響いた。
「その者は、封印される以前…急に現れた天邪鬼に手を焼いていた。彼女の力は強大すぎて、時に天邪鬼に利用される事があったからです」
は刀を抜くと、一層深い闇をにらんだ。
「そして封印される事で…天邪鬼は彼女の力に手が出せなくなりました。彼女は動けぬその身で、僅かな力を振り絞って天邪鬼から村を守った」
「じゃぁ、オレたちは…」
「自分を守りし者を、五年の間、悪魔と呼んでいたのでしょう?」
「……っ」
「さぁ、貴方も後ろにお下がりください。あれは危険です」
男が後ろに下がったのを確認し、は一息ついた。
「棗の放った鬼……やはり、いつもの私では倒せまい」
そして、覚悟を決めたように、瞳を閉じた。
「……念を…――開放します」
その一言で、辺りは衝撃波に包まれる。
「…開放速度、順調。雑念、98割削減」
開いた瞳は――黄金に輝いた。
「……『舞蝶之時』……――開始」
一際大きな衝撃波が放たれた後、は真っ直ぐに刀を掲げた。
「皆さんは、封印されていた者の名をご存知ですか?」
後ろの村人に問いかける。が、誰からも返事は無い。
「教えて差し上げましょう」
静かに、の背後に何かが現れる。
白い衣装に身を纏い、真っ直ぐに伸びた髪が美しくなびく――背中に翼の生えた、女性。
「彼女は……――女神 メアノディルテ」
名を呼ばれた女神は、微笑んだ。
「頼みます、メア」
メアが刀と同化すると、刀は白い光で辺りを照らした。
「!!」
その眩しい光の中、思わず目を細める村人たち。
そして、
『キキキッッッ』
光の中現れた――異形の者。
「あれが…天邪鬼…!?」
村人は恐怖に叫び出した。
「――お静かに。大丈夫です」
凛とした声が、村人の不安をかき消した。
は光に苦しむ天邪鬼へ一歩踏み出す。
「!!」
次の瞬間には、天邪鬼の向こうへ移動していた。
そして、
『ギ……ギギャ・・・ッッッ!!』
――天邪鬼は砕け散った。
「…『舞蝶之時』……――終了」
声に反応し、の瞳が黒色に戻る。
「……っ」
は急にその場へひざを着いた。
「嬢ちゃん、大丈夫か!?」
何人かの村人がの元へ駆け寄った。
「ご心配無く…副作用のようなものです…から……」
微笑みながらも、息が上がる。
村人はその様子に不安を覚えた。
「なぁ…あの巫女様は…何だったんだ……?」
「……棗は……」
言葉に詰まる。
その原因を、自分はよく理解している。
「棗の事など、私には計り知れません。ただ、人の命など、何とも思わない…冷酷な女狐で…」
「――そんなわけあるかっ!!」
「!」
後頭部に、衝撃。
訳も解らぬまま、は倒れた。
「棗様はねぇ…っ、この子助けてくれたんだよ!! いつ死ぬか解んなかった…この子を!!」
「……」
は初めて、その若い女に石を投げられた事に気づいた。
横目で見る彼女の息子は、月明かりの元でも解るくらいに健康そうな顔立ちをしていた。
「お前、何てことすんだ!! 村を救ってくださったんだぞ!!」
「うるさい! そいつが棗様を悪く言うからいけないんだ! そいつが言ったように…これもそいつの自作自演かもしれないじゃないか!!」
「…――そう、ですね…」
は必死に身体を起こした。
「今の私に…貴方がたに、これが真実だと言える証拠は……在りません」
「ほら見ろ!! やっぱりそいつは…!!」
「棗は、どの様な様子でしたか?」
「え……」
女の声を遮り、は言葉を口にした。
「ご子息を助けられた時の…棗は……」
「……ずっと微笑んで、大丈夫と言って下さったよ」
女の言葉に、は微笑んだ。
「……変わらない、ん…ですね……あの頃と………」
そう言って、は意識を手放した。
「……なぁ、どうする…?」
「は、はんっ……殺せば、いいじゃないか」
息子の手を取りながら女は言う。
「けどよぉ…何か、悪い奴には思えねぇぞ?」
「じゃぁ、棗様が悪者だって言いたいのかい!?」
「そうじゃなくて……」
「楽しそうだねぇ…w」
「!!」
村人は声の方を向く。
「ア、アンタ…どっから……」
「んー、初めからいたんだけどなぁ♪」
ヒソカは意識を失っているに視線を落とす。
「…その子、ボクの連れなんだ☆ 返してもらえるかなぁ?」
「こっ、こいつは、殺すんだよ! アンタみたいな訳解んないのに、わ、渡せるわけないだろう!!」
声を震わせながら叫ぶ女。
それを見て、ヒソカは微笑みを解いた。
「……キミたちを殺しちゃうと、ボクがに怒られちゃうんだよね☆」
「ってぇのか。この子は」
が倒した男が、ゆっくりとのほうへ歩み寄った。
「へぇ…その傷で動けるの……キミも美味しそうだけど…ボク、オヤジは趣味じゃないんだw」
「……何気持ち悪ぃ事言ってんだ、オメェ…」
男は冷や汗を欠きながらを抱き上げ、ヒソカの元へ運んだ。
「ほらよ」
「あ、あんた何考えて……」
「いいじゃねぇか。も棗殿と同じ、何かしらオレらを救ってくれたって事でよ」
男はヒソカの腕の中へを下ろした。
「どうも☆ でも…」
ヒソカは右手を男の眼前に持って行き――デコピンをした。
「!?」
それだけで、男は数メートル吹っ飛ぶ。
「な、何…っ!?」
大した痛みは無くとも、男は驚きを隠せないでいた。
「キミなんかがを触ったあげく呼び捨てなんて……100年早い☆」
ヒソカはそれだけ言うと、村を後にした。
月明かりが道を照らしている。
腕の中の少女は、その明かりを受けて美しい寝顔をさらしていた。
「……――なつ、め……」
呟く頬に、一粒の涙。
「………やっぱりキミは…ちょっとの観察じゃ暴けない…w」
敵対していたはずの相手の名を呼び、涙する。
新しいタイプの念。
あれだけの強さを持っていて何故、女の投げた石が交わせなかったのか。
ヒソカの脳内で次々に浮かぶ疑問。
そしてそれが、そこで解決されるはずも無く。
「棗……」
何度もうわ言の様に呟く寝言に、ヒソカは表情を変えた。
面白くない。
「……眠り姫には、キスかなw」
ヒソカはの頬に唇を落とす。
「ん……――!!」
はそこで目を覚ますと、一瞬で状況を理解し、暴れだした。
「お放し下さいっ、兄上!!」
「自分で抜ければいいだろう?」
「御託を…っ……放しなさい!!」
いつに無く力強く言うを見て、ヒソカはを下ろした。
「…、どうしてそんな急に弱くなったんだい?」
「弱くなどありません。愚弄も対外になさって下さい」
「ボクの腕も抜けられないくらい・・・弱いじゃないか☆」
「……」
はヒソカに背を向け、ため息を着いた。
「貴方には…やはり気づかれてしまいますか」
「そりゃぁ、キミに日々愛を注いでるからw」
「結構です」
「で、理由は?」
「言えません」
「どうしてだい?」
「言いたくないからです」
「……」
「……」
やはり、沈黙が続く。
しかし、からそれを破く事は無かった。
歩き出すの後を、同じスピードでヒソカは続く。
「元にはちゃんと戻るんだろうね?」
「いっそ戻らなければ貴方との縁も切れるのでしょうね」
「弱い奴に興味は無いからね☆」
「という事は、今の私は貴方が最も嫌う人間という事ですか。これ以上幸福な事は御座いません」
「キミみたいな特殊な例は逆にそそられるねw どうせ戻るんだろう?」
ヒソカの言葉には背筋を凍らせた。
「…気持ち悪い発言は控えて頂けますか? …えぇ、三日程で戻りますよ」
「♪」
ヒソカはにやりと笑うと、の隣に立った。
「……迎えに、来て下さったんでしょう?」
「まぁねw」
「……――有難う御座います」
月明かりの下。
好奇心で拾った道化師と、
好奇心で拾われた少女。
目的地は、もう、すぐそこに。