こつこつと、革靴が石畳を叩く音が響く。
それに合わせるように、私の身体も小刻みに上下していた。
…そろそろ感覚が無くなって来た。
いくら止血はしていても、完全に止まっている訳ではない。
きっと、包帯には血が滲んでいることだろう。
痛みで、変に神経が研ぎ澄まされる。
「お嬢様、大丈夫ですか」
「そう、思うなら……アンタは眼鏡をかけたほうがいい」
「…失礼しました」
ロバートに抱えられていたことを、思い出す。
むしろ、ここに人が居たことを思い出した。
…………眼鏡、か。
そういえば、あの眼鏡はどうしているだろう。
今頃、太郎さんから全て聞いてるかな。
皆、
皆、私を忘れればいい。
これ以上私に関わって、
辛い思いして、
悲しむ必要なんて無い。
失うものさえ、この手に無かったら、
私はまだ、
…まだ、耐えられる、はずだから。
私はもう、
戦うことにすら、疲れちゃったよ。
……ねぇ、―――忍足……・・・
The reason for being.
The value of being.
――20th.
「こちらです」
その声に、うっすらと目を開ける。
四方八方、鉄の壁に囲われた部屋。
窓も無ければ、家具も無い。壁に一つだけ、火の灯ったロウソクが立てられている器がかかっているだけ。
天井までの高さはあるものの、部屋の広さは狭い。……牢屋のように。
「…悪趣味」
「しばらく、この地下室でお待ち下さい。…傷は、ご辛抱願います」
そう言って、ロバートは私を床へ寝転ばせた。
「いつまで?」
「そろそろ奥様から…」
『…―――ロバート、聞こえたら応答しなさい』
声が、狭い部屋に反響する。
視線だけ見上げれば、スピーカーのようなものが取り付けられてあった。
「…聞こえています」
ロバートはポケットの無線機で応答した。
『そう、じゃあ戻ってきなさい。…』
ロバートが会釈し、重い鉄の扉を閉めたと同時、名を呼ばれた。
『お前のお仲間が、この屋敷に向かってるそうよ?』
「!」
『お前の声はこっちには届かない。…だからそこで聞いているといい。
またお前のせいで、誰かが傷つくその瞬間を、ね。…そうして二度と、お前に悪い虫がつかないようにしてあげる』
「………っ」
その、笑い方、
昔から、アンタのそれが大嫌いだった。
ブランド物の服や香水を纏い、しわの目立ち始めた顔を歪ませながら、笑う、その表情が。
何より、『私』を否定しているみたいで…
…怖かったんだ。
「忍足………」
来ないで。
今あんた達が私にできるのは、それだけ。
これ以上、私を哀れまないで。
救おうとしなくていいの。
私はどこでだって生きていける。
あのクソババアの言う通りにだってできるから。
…だから。
「私なんかのために……あんな汚い大人に関わらないで…」
あんた達は好きなテニスをやって、
その輝いた瞳のまま、
光を失わないで。
「……ここだよ」
杏子を先頭に、一行は豪邸の前で車から降りた。
跡部の家よりは小ぶりだが、日本の生活基準から見ればかなりのお屋敷で、
長太郎は目を丸くして驚いていた。
「…チョタ、今からちゃん取り返しに行くんだから、そんな間抜けな面見せんじゃねぇよ」
「ちゃんと謝りますからこのタイミングで本性出さないで下さい」
「あ、ごめんごめん。あたしったら柄にも無く緊張してるかも」
そう言う杏子の手は、心なしか震えていた。
その時、
「! 門が…」
硬く閉ざされていた門が、ゆっくりと開き始めた。
入ることは、許されたようだ。
「…乗りなさい」
運転席から呼ぶ榊の声で、全員、車に乗り込む。
忍足は、敵地に乗り込む兵士のような気持ちで、敷地に足を踏み入れた。
「はい、ストップ」
しばらく乗り進め聞こえた声に、車は走りを止める。
「…久しぶりだな、
…ローズ」
車を止め、玄関に差し掛かる道へ出る。
そこには、数時間前に対面した、ローズがいた。
「これはこれは榊様……後ろに邪魔なの引き連れて、瑞穂様にどういったご用件で? アポはお取りかしら?」
「なっ…邪魔やて!?」
「忍足。……アポは取っていない。の件で話がある」
「…まぁ、来たら通すようには言われてるわ。こっちよ、着いてらっしゃい」
気に食わなさそうに、ローズは屋敷へと足を運んだ。
重そうな扉を開き、中へ入る。
赤絨毯が引かれ、天井にはシャンデリアが照明として輝いていた。
そのままローズを先頭に廊下を歩き、やがて、一つの扉の前で止まった。
「…こちらで瑞穂様がお待ちよ」
「ああ、有難う」
榊が扉に手をかけると、ローズはそれを横目で見ながら呟いた。
「…これ以上、お嬢様を悲しませるような真似はしないで頂戴ね」
「?」
「………それじゃ」
それだけ言うと、ローズは廊下の奥へ消えていった。
忍足たちは、その真意に気づかないまま、扉を開けた。
「………!」
広い、部屋だった。
長いテーブルの上には、暖かそうな夕食。
そしてその向こう側には、静かに食事をしている女性がいた。
「…こちらへいらっしゃい」
その声に、誰からといわず、足を踏み出した。
『こちらへいらっしゃい』
「!」
ナイフの音や食器の音しか聞こえなかったスピーカーから、クソババアの声が聞こえた。
……来てしまったんだ。
そう思って、私は耳を塞ぎたくなった。
何も聞きたくない。
これ以上、何も感じたくない。
だけど、すでに体力も感覚も無い腕は上がらず、どうもがいてもスピーカーからの声は私に届いてしまう。
「…………」
メイドの『どうぞ』という声や、椅子を引く音。
それに混じって、聞き知った声も時々聞こえてくる。
…クソババアは、私に何を聞かせるつもりなの?
どこまで私を壊せば気が済むの?
『……単刀直入に尋ねる。…を返してほしい』
『あの子の親権は私が持っているわ。私はあの子を貴方から返してもらっただけ』
何が、『あの子』だ。
そんな言い方、今まで一度だってされたことが無い。
『……………ちゃんは、何も決められない子どもじゃないです。中学3年生なんですよ?
なのに、こんな誘拐染みた事…どうして本人とちゃんとお話しないんですか?』
…杏子、違うよ。
私は……何一つ、クソババアに抗う術なんか持ち合わせてないんだ。
『誘拐も何も、私が保護者だと言ってるでしょう。
私はあの子を精神療養で日本に行かせただけ。元気になったんだから連れ戻すのは当然の事よ』
それに、こいつは私のこと、稼ぐ道具としか思っていない。
そんな説得、意味が無いんだよ。
『さんは、まだ一週間と少ししか療養してないじゃないですか! さん、まだ泣いてたのに…』
『精神療養なんて、そう簡単に済むものじゃない。一見元気そうに見えたって、はふいに何かに耐える顔をしていた。
…完全に立ち直れたとは到底思えない』
長太郎…跡部…
私なんかのこと、ちゃんと見ててくれてた…
『…完全なんか求めてないわ。…それにどうせ歌えないんだし。顔は良くできてるんだから、モデルでもしてくれればいい』
『っ貴女という人間は……!!』
『食事中なの。声を荒げないで頂戴、榊』
太郎さん、そんな腐った人間にいちいち腹を立てないで。
もう、何でもいいから…。
『…あいつの、意思は?』
「!」
この、……声……
『あいつの意思は、全部無視するんですか。モデルしたくなくても、帰りたくなくても、日本にいたくても、
…全部無視して自分のしたい風にやらせるつもりなんですか』
「…忍、足………」
ねぇ、私は、
また、そうやって差し伸べてくれる忍足の手を、
掴むことができないの。
だからお願いよ。
希望を、ちらつかせないで。
TO BE CONTINUED...
「これ以上、を苦しめんなや。 この話が面白かったら俺を押してな?」