忍足の言葉が、脳裏に焼きついて離れない。
とても冷たくて、痛くて、…もう、手が届かないほどに遠く感じた。
「っふざけないで……!!」
仁王の胸を強く押し返し、私は彼と少し距離を取った。
意味が解らない。何がしたいのかも解らない。
「俺はふざけとらん」
「…っ」
「じゃが、合宿が終わるまでの間でいい」
「は…?」
「ちょっと、思う所があっての。…それなら合宿が終わった後にでも忍足に弁解できるじゃろ?」
「…どういう意味?」
「まぁ、今は黙って俺の女になりんしゃい。…後一日半の辛抱じゃ」
…意味が解らない。何がしたいのかも解らない。
それでも私は、何故か、頷いてしまった。
いつもの表情と何ら変わりないはずなのに、どこか、必死さが見えた気がしたから。
だから、……頷いてしまったんだ。
The reason for being.
The value of being.
――36th.
午後の練習が、始まった。
「…………」
当然食欲なんか沸かなくて、私はお昼は食堂に行かなかった。
…当然、忍足は迎えに来てくれなかった。
いっそのことそのまま部屋でサボろうかとも思ったけど、後で面倒ごとになるのも嫌だったから、私は律儀にコートに足を運んだ。
「ファイトでーすっ!!」
離れた場所からりぃこの声援が飛ぶ。
彼女の視線は、ずっと忍足の方を向いていて。
「…………」
忍足の視線に、私は、映らない。
「…」
「!」
後ろから聞こえた声に振り返る。
そこにいたのは、岳人だった。
「…どうかした?」
「なぁ、何か侑士の様子おかしくね?」
「え…?」
言われて、忍足に視線を向ける。
今は午前中に二人で探していたコーンを使った練習中。だが、忍足は見事なまでにコーンにボールを当てられずにいた。
「………」
「さっきからずっとあんな感じでよ…俺までテンション落ちるっつーか…」
「……知らない」
「え?」
「知らないし、知りたくもない。…訳解んない、頭痛い」
「ちょ、? どうしたんだよ」
「…ごめん、何でもないよ。…情緒不安定なの」
「大丈夫かよ…」
「ただの挙動不審な変質者がいるとでも思って」
「余計怖ぇよ」
岳人は小さくため息を吐くと、ぐしゃぐしゃと私の頭を撫でた。
そして私の顔を覗き込んで、力強い瞳で言う。
「何かあるなら、言えよ。侑士以外にも、お前の仲間はいっぱいいるだろ?」
「……岳人」
「俺がいる。跡部たちもいる。侑士に言えない事なら俺らが聞いてやる。だから、一人で抱え込むなよ」
「ねぇ、岳人」
「…俺たち…そんな頼りねぇかよ…」
「岳人ってば。…口にご飯粒ついてる」
「うわっ…てかお前、話の腰を折るの得意だな」
「それほどでも」
「褒めてねぇ」
「何しとるん」
「!!」
そこに現れたのは…仁王。
「…なんでもない」
「え、!?」
呼び止めに振り向きもせず、私はその場を後にした。
アイツの側にいたくなかった。
何よりアイツの側にいるところを、忍足に見られたく、なかった。
…例え、手遅れだったとしても。
「…何だよ…アイツ…」
「氷帝の、向日…やったかの」
「何だよ詐欺師」
「……俺の彼女にあんまし近寄らんでくれんか」
「…………は?」
しばらく目をぱちくりした後、岳人は我に帰ったかのように、
「彼女ーーーーーーーーーーーーっっ!!??」
………叫びやがった。
「……………」
水道場で、頭から水を被る。被ってから、タオルを持ってないことを思い出した。…まぁいいや。
「……ダルい…」
身体がダルいのは、昼食を抜いたからか、状況のせいか。
とにかく、頭が回らないから解らない。
「これ、使ってくださぁい」
すっと目の前に差し出されたのは、真新しいタオル。
顔を上げると、今一番顔を見たくない奴が、笑っていた。
「…いらない。ほっとけば乾く」
「えぇ〜使ってくださいよぉ。……リタイアした先輩にはタオルが必要でしょぉ?」
「リタイア…?」
「だってぇ……仁王先輩と、付き合ってるんですよね?」
「!」
「駄目ですよ? …彼氏持ちが浮気しちゃぁ…ね?」
くすくすと、さも楽しそうに言う、りぃこ。
…違う。私は…!!
「私はっ…」
「あ。あたし忍足先輩に呼ばれてたんでしたぁ。……それじゃ失礼しますね、先輩」
りぃこはそのまま走り去り、私は、無理やり手渡されたタオルに視線を落とした。
真っ赤なイチゴの、可愛らしいタオル。
戦線離脱の証。
「…っ……」
そんなつもりはない。
今でも、りぃこに忍足を渡したくない。
だけど、
「もう……側にいられないかも、しれない、なんて……」
……そんなの、
「絶対…やだ……!」
気づけば私は、その場から走り出していた。
タオルを握り締め、りぃこが向かった先、…忍足の元へ急いだ。
仁王なんか知るか。私があいつの考えに乗る義務はない。
今すぐ忍足の誤解を解いて、タオルをりぃこに突き返して、それで…
「でぇ、お話ってなんですか?」
「!」
曲がり角の向こうからりぃこの声が聞こえ、私は足を止めた。
「…………」
大丈夫。何とかなる。…何とかなるから…。
決意を固め、私は、一歩踏み出そうとして…………
「なぁりぃこ、今更やねんけど………
俺と、付き合ってくれん?」
時が、止まった。
景色も、空気も、動き全てが、
「……っ嬉しい…!! 今更なんて事無いです、あたし…あたしを選んでくれただけで…!!」
「……………………」
ああ、私、
本当に、手遅れだったんだ。
「…………」
タオルが、乾いた音を立てて、地面へ滑り落ちた。
ゆっくり、一歩一歩確かめるように来た道を戻る。
頭からはまだ雫が滴っているけど、もう、そんなこと気にもならない。
…だって、それはもう、雫か涙かわからないから。
「私…何、したかったんだろ…」
今なら、今だから、解ったよ。
解っちゃった。
強くなるために、
もう泣かないために、
私はここに来たのに。
「……そんなの、無理よ……」
アンタがいなきゃ、私は、
此処に居る意味がないじゃない……―――
「………っ……」
さっきの水道場まで、ふらつく足でたどり着く。
気持ちが悪い。頭が割れそうに痛い。
必死になって崩れそうになる身体を壁で支えるけど、耐え切れなくてその場に膝を着いた。
「…っはぁ……」
こんなことって、あるか。
好きって、気づけたのに。
頑張ろうって、思えたのに。
…こんなことって…。
「おし、た…り……」
私……こんなにも、アンタの存在に生かされてたなんて……。
「…っ」
ふっと、遠くなる意識。
いつもと同じ、視界が暗くなる一瞬。
「―――――!!」
大きな暖かい手が、
力強い腕が、
陽に当たって輝く銀髪が、
――――――見えた気がした。
TO BE CONTINUED...
「一騒動ありそうじゃな。 この話が面白かったら俺を押すんじゃよ?」
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