「………手の中にあると思ってたもんがいきなり無くなる気分は…どんな気分や?」
りぃこの悲痛な顔。
忍足の冷たい瞳。
この状況を理解している人間なんて、ほんの数人だけで、
私は、この景色を呆然と見ているしか無かった。
The reason for being.
The value of being.
――40th.
「越前、菊丸、桃城、丸井、切原、そして忍足。…これが何か解るか?」
跡部が何か紙を見ながら言う。
「……お前が自分の手駒にしようとした奴らの名前だよな?」
「……っ…」
「ちょっと跡部さん。いくらアンタでもそんな適当なこと…許さないっすよ」
「も、もしろ…君…」
すでに涙目のりぃこに跡部はため息をつき、仁王に視線を送った。
「…じゃぁ、これはどういう意味なんかの…?」
それを合図に席を立った仁王は、にやっと笑いながらある物を取り出した。
それは、カセットテープの録音機器。
りぃこはそれを見て、さぁっと血の気を引いていく。
そして静かに、それは再生された。
『…… 。なんとかして忍足先輩から引き離してくれない?』
食堂に響いたのは、確かに、りぃこの声。
『なんじゃ、次のターゲットは忍足か?』
『…そういう事。勿論、協力してくれるんでしょ?』
『また面白いこと考えとるの』
『…邪魔なんだもの、あの女』
ざわざわと騒がしくなる皆の声。それと反比例するかのように、どんどんりぃこは俯いていく。
『…何よ…何言われても傷つかないみたいな顔して、余裕ぶって…今までさぞ幸せな人生送ってきたんでしょうねぇ』
『っアンタみたいに黙ってれば何でも与えられるような人間に、あたしの気持ちなんか解るわけない!!』
そこで、仁王は停止ボタンを押した。
「…裏切るのね…あたしを…」
「お前さんは、言ってはならん事を言ったな」
「な、によ……」
「あの後…は狂った。お前さんにあんな事を言われてな」
「『今までさぞ幸せな人生送ってきた』…『黙ってれば何でも与えられるような人間』…お前、本当にがそう見えるのか?」
「何なのよ…だってそうでしょ!? 何でそんな事であたしが責められなきゃなんないのよ!?」
一同は皆、愕然とした。
いつものりぃこはこんな状況になったら、絶対に涙を流しうつむく、弱々しい女の子なはず。
だが…怒りに歪んだ顔で叫ぶその姿は、まるで彼女ではないかのよう。
「…」
「!」
いきなりリョーマに呼ばれ、私はびっくりして身体を強張らせた。
リョーマは私の腕を引き、私をその場に立たせた。
「な、何っ?」
「自分で言わなきゃ駄目だ」
「え……」
「あんな事言われて辛かったんでしょ? 嫌だったんでしょ? …だったら自分で、言わなきゃ駄目だ」
「……でも……」
「は強くなりたいって、弱い自分は嫌だって言ったじゃんか。…何も言い返せないままでいいの?」
「………」
自分で……?
でもそれは……。
「………何なのよ…あたしは、あたしには何も無かったのよ。どれだけ頑張っても…誰も認めてくれなかった。
だからあたしは自分を偽るしか無かったのよ。誰からも好かれるあたしに。…それでも拠り所がなきゃすぐに倒れちゃう。
でも束縛なんてあたし、大嫌い。だから彼氏なんていらなかった。
あたしとって都合のいい、…それこそ跡部先輩が言った通りよ。手駒があればいいと思った。
……そうやってあたしはやっと『あたし』を確立できたのよ。じゃなきゃこうやって立ってることすらできなかったもの!!
ねぇ、あたし間違ってる? あたしが間違ってるって言うんなら、何とか言ってみなさいよ!!」
そうやって、感情をむき出しに出来ること…とても凄いと思う。
…私、自分から同じ舞台に上がっておいて…りぃこから逃げていた…?
「…私は…貴女の考えが間違っていたとは思わない」
「何よ、ここまで来ていい子ぶる気なの!?」
「そんなんじゃない。…私と貴女は…とても似ていると思ったから」
「はぁ? あたしとアンタが? …笑わせないでよ!!」
「でも私は、貴女とは根本的に違う」
話してしまえば…私の中に閉じ込めてあったあらゆる感情が、思い出が、
私だけのものじゃなくなる。
「私は貴女と違って、それが当たり前のものだなんて…許されるものだなんて、思ったことは一度も無い」
話してしまえば…それは時の中で風化される。
私の中の貴方も…同じこと。
「貴女に何があったかなんて、詳しく知らない。だけどきっと辛かったでしょうね。苦しかったでしょうね。
でもね、私も同じくらい辛かったの。苦しかったの。…悲しかったの。
私、一度だって何かを与えられたことなんて無かったよ? 何かを手に入れても…必ず消えていった。
手にした物が必ず消える私と、何も無かった貴女……どちらが重いかなんて興味ない。だってどちらも、とても重いもの。
それでも貴女が私に対して、まだ『軽いことだ』と思うなら…教えてあげる。
―――私が何を失ってきたのか、全て」
これも一つの決別だというなら……
ごめんね、
…リオ。
「大好きな人がいたの」
私は、
「あの人も、私の事、好きでいてくれた」
貴方の為に今まで生きてきたと思ってたけど、
「私はあの人の為だけに歌を歌っていた。それほど私はあの人を…そう、愛していたの」
これからはもう…それは、できない。
「だけど……―――殺された」
「っ!!」
「目の前で、私を庇って、冷たい雨の中、どんどん冷たくなるあの人の身体を抱きしめた」
だって私は…
「犯人は…私のボディーガードだった。…つまり黒幕は…両親よ」
「う、そ…」
「嘘なんかついてどうするの? 私の手にはまだ…あの時の血の感触が残っているのに?」
私は………
「…その後すぐに、両親を問い詰めた。もう歌わない、歌ってやるもんかって叫んだ。
そしたら父は、私の首を絞めた。…狂ってしまっていた、もう、きっと、誰がじゃなくて、皆が」
貴方の事を話した。
貴方を『過去』にした。
「だから―――――私は両親を殺した」
忍足との『未来』を掴むために、
貴方との『過去』を晒した。
「目覚めた私は……あの人に唯一繋がる、『歌』自体を失っていた」
『過去』への歌は、きっと誰かに封じられたんだ。
これからの私が…『未来』を歌うために。
「……そんな感じよ。…貴女も話す? ここで、皆の前で、自分が今までしてきたこと」
「……………」
いつの間にか、りぃこは涙をボロボロと流していた。
それは今まで見てきた嘘泣きの涙とは全然違った。
目を見開いて俯きながら、瞬きもままならぬ様に、ただ首を横に振っていた。
「…有難う、こんな私に泣いてくれて。そういう人は、本当は優しい人なのよ。
貴女はとても優しい人のはずだわ。…それをどうか、自分で見失わないで」
ざわついていた一同も、黙っていた。
どこからかすすり泣くような音も聞こえる。
私はその空気の中、りぃこの元へ向かった。
「りぃこ」
「!」
そして、抱きしめた。
「ごめんなさい。…私は私のワガママで、貴女の居場所を一つ奪ってしまった」
「え……」
「でも、今の貴女を…ここにいる皆は受け入れてくれるはず。でもそのためにしなければいけないこと…解るよね…?」
りぃこは私の腕の中でしばらく動きを止めていた。
(……ああ、だから、この人の周りには…皆いるんだ……)
「先輩……ごめんなさい」
「うん」
「皆も…今までごめんなさい」
「うん…」
「あたし……でも、もう、ここにはいられない」
「!」
押し返された胸。
りぃこは泣き腫らした目で、私を見つめた。
「あたし、これ以上、嫌な女になりたくない。…先輩はあたしの事優しいって言ってくれたけど、本当はそんな事全然ない」
「りぃこ…」
「見失ってるんじゃない。初めから、本当に、そんなあたしはいないの…っ…だから…!!」
「!! りぃこっ!!」
りぃこは勢いよく食堂を飛び出した。
私はその後を追おうとして―――
「! 仁王…!?」
仁王に腕を掴まれた。
そのまま私を追い越し、仁王は食堂を後にする。
「……………」
「心配しなくても、後は仁王に任せとけば大丈夫だろ」
「え…?」
そう言う跡部を振り返ると、さっきも見ていた紙を見て言う。
「仁王は瀬川の事は何でも知っている。……あいつらは従兄妹だからな」
「いと、こ……?」
「ああ。杏子から頂いたしっかりとした情報だ」
その紙は杏子からでしたか。
……っていうかもしかして…仁王ってばりぃこのこと…?
「それよりお前ら、積もる話でもあるんじゃねぇのか、アーン?」
「!」
そう言って今の状況を思い出す。
おそるおそる忍足の方を見ると、ばっちりと目が合った。
「あの…忍足…」
「……………」
「!」
忍足は私の所まで足早に来ると、そのまま手を引いて食堂を出た。
「ちょ、ちょっと忍足っ!?」
皆の視線も気にせず、忍足はスピードを緩めずに階段を上がる。
転びそうになりながらも着いていき、たどり着いたのは、私の部屋。
忍足は片手でドアを開けると、私を中へ入れた。
「お、忍足…? !!」
ドアが閉まる音と同時、
「…、ホンマにすまん…嫌わんで…」
後ろから、忍足にきつく抱きしめられた。
「忍足……」
「全部嘘や。俺が好きなんはだけや。
…でもあのままやったらずっとが苦しむかもしれんって、やから仁王の作戦に乗って…やから…」
「……解ったから…嫌ってないから…」
反転し、私は忍足の首に腕を回して、忍足を抱きしめた。
そのままずるずると、私たちは床に膝をつく。
「……………」
私は、忍足が、好き。
きっと今は、
―――――誰よりも。
『―――…It makes no difference. 』
「!!」
紡ぐ、旋律。
『―――I am me. However, something changed. Because you were. 』
蘇る、いや、新たに生まれた、私の、
『―――I was able to change……―――』
未来を紡ぐ、『歌』。
「………歌…歌って……え…?」
「うん、歌えたね」
「な、何でそんな軽く…」
「さぁ…なんでだろ。前まではどうやっても歌えなかったのに。…今は…身体の奥から音が溢れ出して止まらない」
心地よい、互いの心臓の音。
それに乗せる、私のメロディー。
「…やっと聞けたわ…の歌」
「ご感想は?」
「……泣きそう」
静かに交わした唇は、互いに、震えていた。
「ひっく……ぅぐ、っはぁ…」
ごめんなさい、皆ごめんなさい。
今でも、皆を騙してたことに罪悪感なんかないの。
ただ、自分が、あの場にいたくなかっただけなの。
とても…怖かったの。
「こんな所で何をしとるんじゃ?」
「!!」
振り返ると…そこには、仁王先輩の姿。
「何よ…仁王先輩…笑いに来たの?」
「…そんだけ悪態がつければ大丈夫じゃな。ほれ、帰るぞ」
「どこに帰れって言うの!?」
あそこはもう…あたしがいていい場所じゃない…。
「…いつからじゃろうな。お前さんが俺の事、『仁王先輩』だなんて呼ぶようになったんは」
「え…?」
「お前さんが…母親に狂わされたあの時…あの時までは、お前さんは俺の事『雅治』って呼んどった」
「っ…!!」
―――アンタなんか、産まなきゃ良かった…!!
「あは、ははっ……」
「莉古」
「!」
先輩はあたしの腕を引くと、そのままあたしを腕の中に閉じ込めた。
「あの時はこうしてお前さんを守れんかったな。…壊れたように笑うお前を…見てるだけじゃった」
「…………」
「も同じように笑ってたよ。だから放っておけんかったが…もう、あの子は大丈夫じゃ」
先輩……。
あの人があんなにも笑えてるのが…全てを知った今では嘘みたいに思える。
今言うと言い訳にしか聞こえないけど…本当に、そんな過去があるようには見えない人だったんだよ。
先輩は…きっとあたしと同じで弱いけど、あたし以上に強い人だった。
「お前さんには…俺がおるじゃろう?」
「!」
「なぁ、もう、雅治って呼んでくれんと?」
「…………」
思えばいつでも、
あたしの側には、先輩がいてくれた気がする。
あの日から、お互いに少し距離を取るようになったけど、
何かあったら…お互いに協力したりして、
………ああ、あたし、どのくらいの間、この人を待たせていたのかな…。
「雅、治…雅治…っ…!!」
「よしよし。いい子じゃな」
ただいま、…雅治。
「―――色々ありすぎて長かったわねー、合宿」
「3日やと思えんな」
解散の時間になり、各々バスに乗り込む。
さっきチラッと見えたけど、りぃこは暖かく立海の人たちに迎えられていた。
これで…良かったって思いたい。
「先輩!」
「! りぃこじゃない」
バスに乗り込む手前、立海のバスの方からりぃこが駆け寄ってきた。
「良かった、間に合ったぁ……。…ちゃんと、お話しておきたくて」
「うん、何?」
「色々と、本当にごめんなさい。でもあたし、先輩に会えて…良かった」
「…そう…有難うね、りぃこ」
「っはぁい♪ あ、忍足先輩! 先輩泣かせたら、あたし許しませんからね!?」
捨て台詞を忍足に吐き捨て、立海バスへ走り去るりぃこ。
「うーん…やっぱり本質は杏子属性か…」
「はええ女やから、敵多くて困るわ」
忍足に頭を撫でられ、バスの中へ誘導される。
「ま、誰にも負けんけどな」
「!」
その微笑みに、ときめくものを感じてしまった。
…なんか、居心地悪いなぁ…。
「…………見ろよ、あの二人」
「クソクソ侑士!! 見せ付けやがって!!」
「チッ…まぁ、今日だけは許してやるか…」
「まだ…まだチャンスはあるはず…!!」
帰りのバスの中、私たちはお互いに身体を預け、深い眠りに落ちていた。
私の中の何かを変えた合同合宿は、こうして、幕を閉じたのだった。
TO BE CONTINUED...
「、ホンマにお疲れさん。 この話が面白かったら俺を押してな?」