TRICK OR TRICK?













降り続ける雨。

肌に纏わりつく制服。

訳の解らない状況。

全てが気持ち悪い。




「………」




―――じゃぁやっぱり、ここはあなたが居た世界じゃないんだよ




簡単に言ってくれる。

それが本当なら、かなりの大問題だ。

これから自分は、どこに行けばいい?

あの変な店長を探さなきゃいけないのか?




「…どこかで傘でも買うか…」




とは言え、ここまで濡れてしまっては、もう傘を差しても意味は無いだろう。

それに、どっちに行けばコンビニがあるのかすら知らない。

こんな雨の中では、人すら通りかからないのだから。




「……」




あの変な女は、本当にこんな馬鹿げたことを信じているんだろうか。

うっすらとした記憶からは、彼女の名前すら思い出せなかった。






































「…ただいまぁ…」




部屋の明かりをつけ、誰もいないリビングに視線を移す。

何も無い。

誰もいない。




「………」




私はテーブルに買い物の袋を置いて、ベランダへ向かった。

ガラス越しに空を覗き、全く止まない雨を見上げる。

…あの人は、まだこんな雨の中、どことも解らない世界を彷徨い続けてるんだろうか。




「…仁王、雅治くん……」




雨で少し滲んだ紙に浮かぶ文字。

あの人の名前が書かれたソレは、今、あの人と私を繋ぐ唯一の―――…




「……駄目だ、また、期待して」




解ってるんだ。なのに、求めてしまうのは私。

いつだってそう、この家に、




帰ってきてくれる人なんて、いない。




「………」




カサ、と手の中で音を立てる紙。

……もう一度、手を伸ばせとでも言うのか。




「………」




待つだけじゃ駄目だと、言うのか。




「これで、うん、……最後。最後だから」




私はもう一度だけ空を見上げ、玄関のほうへと足を伸ばした。






































「…………」




駅前らしいところまで来ると、さすがに人もチラホラといた。

当然、傘も差さずに呆然と立っている俺を見る視線は、不審や、邪魔だといったもの。




「……駅名も解らん」




知ってる奴も制服も、場所さえも無い。

…これは結構、絶望的な状況じゃないか?




「…寒いの」




このままこうしていたら、あの男は現れるだろうか。

さすがに殺す気は無いだろう、…無いと思いたい。



こうしていれば風邪を引いて、こじらせて。

夜中になればそれなりに危険な人種も現れるだろうし。

…受身なのは気に食わないが、何にせよあの男に会わないと何も始まらない。




「…………いや」




すでに、始まっている。

あの男が、俺をここに送り込んだ時点で。

あの女が、俺と同じで巻き込まれた時点で。




「………」




あの女は、どうして選ばれたんだ?

あの落ち着きようからして、あの男の店にいた訳ではなさそうだし。




「………」




まだ、あの場所にいるだろうか。

いるはずも無いか。こんな雨の中だ。




「……手の中で踊らされるのは、あまり好まんのじゃが…仕方ないか」




踊らされてみるか。

そう決めて、俺は来た道を戻った。



どうやって来たか。道順の記憶は曖昧で、たどり着く自信はあまり無い。

住宅街に一歩入れば、どこも似たような景色が続いているせいだ。




「…………!」




いや、やはり俺は間違ってなかったようだ。

ふと顔を上げた先には、




「……あ…」




道の端に座り込む、一人の女。

赤いチェックの傘から覗く顔は、さっき見た顔。




「…この寒いのに、こんな所で何をしてるんじゃ」

「………ソレ、そっくりそのまま返すよ」

「ククッ…それもそうじゃな」




俺が笑うと、彼女も笑った。

雨が気にならなくなる位に、暖かい笑顔だった。




「…何か、解ったの?」

「いーや、何も解らん。手詰まりじゃ」

「そ、そう…」




少し言葉を詰まらせると、彼女はすくっと立ち上がり、徐に傘を閉じた。




「…何しとる、お前さんまで風邪引くじゃろうが」

「へへっ、なんだか、におちゃん見てたら私もやりたくなって」

「…におちゃん…」

「駄目? 可愛いと思うんだけど」

「駄目じゃなか。…ただ、俺はお前さんの名前をちゃんと覚えとらんのでな」




俺がそう言うと、彼女はきょとんとした顔をした。




「私? 私は だよ、におちゃん」




にこっと笑って言う。…だが、やはりその呼ばれ方が引っかかる。




「……やっぱり『におちゃん』はやめんしゃい」

「えー、さっきはいいって言ったくせにー。じゃぁ何て呼んだらいいの?」

「雅治で良かよ、

「ちょっ、呼び捨て…っ?」

「嫌か?」

「や、ちょっと恥ずかしいだけ」

「…可愛いの」




早くも雨で濡れている頭をぽんと撫でると、は小動物のようにきゅぅっと目を閉じた。




「…さて、これからどうしようかの」

「……どうすればいいか解らないし、こんな雨じゃ風邪引いちゃう。

 とりあえず、私の家においでよ」

「………仕方ないの」




俺はから傘を受け取ると、広げてを中へ入れた。




「今更差すのー? 特ににおちゃん」

「これ以上濡れてもいい事は無かろ。特にお前さんは」

「私は別に風邪引いても構わないんだけど」




はそう言うと、さっきまでの暖かな表情を一変させた。




「永遠の痛みに耐えたって、……それでも誰も気づいてくれない。

 だったら私は、違う痛みで耐えるしかないの」




口角は上がっているが…温かみの無い表情。

まるでそう、…凍ったような。




「! あ、ごめ…変な事言っちゃったね……ぃひゃっ!?」




凍った表情を溶かしたかったのか、すでに溶け始めていた頬を、俺は引っ張った。




「な、何するのぉっ」

「…におちゃんて言った」

「えぇっ、そんな自分もスルーしたくせにっ!?」

「におちゃんて言った」

「…あう……」




すぐに表情を赤くし、困った顔になる

俺はそれに満足して、またその頭を撫でた。




「も、もうちっと慣れたらちゃんと名前で呼ぶもん」

「ほう、それは楽しみじゃな」

「……うー…」




そんな事を繰り返しながら、俺たちは道を進んだ。

その後ろに、楽しそうに微笑むあの男がいただなんて、気づきもせずに。







































「たっだいまーっ!」




元気のいい帰宅の声。

セキュリティーの行き届いた、いかにも高級そうなマンションだが、仁王はどこか冷たい空気が流れている気がした。




「ちょっと待っててね。タオル持ってくるよ」

「ああ、すまん」




ぺたぺたと足跡を残しながら部屋に入っていくを見届けて、仁王は一息つく。

足元に視線を移すと、靴は雨に濡れたミュールのみ。家族は不在なのだろうか。

だが隅の方にある小さな靴箱の中にも、女物の靴が数足しかない。




「…………」

「おまたせー」




その声に仁王が顔を上げると、がタオルを片手に、自らが汚した床を拭きながら現れた。




「はい、これで雫が落ちないくらいにテキトーに拭いて、シャワー浴びといで」

「お前さんが先に入ってきんしゃい」

「やーだよ。そんなびしょ濡れの人を部屋に入れたら大変なことになるでしょ」

「………」




反論できない。

実際、まだ拭いてないとはいえ、髪からはぽたぽたと雫が落ちているくらいだ。




「脱衣所に洗濯機があるから、脱いだ服は入れておいてね。

 あとさすがに下着の替えは無いから、乾燥機に入れてスイッチ入れといて。

 速乾モードにしとけば出てくる頃には乾いて……」

「…悪い、場所見てから説明してくれんか」

「はわっ」




やってしまった、という顔をしながらあたふたとするを見て微笑みながら、仁王は手にしたタオルで頭を拭いた。

自分はあまり人に興味は持たない方だが、彼女はどこか面白い。




「…そんじゃ、お邪魔させてもらうとするかの」

「あ、うんっ」




ぱたぱたと先陣を切って部屋に入っていくに続いて、仁王も部屋に入る。

リビングの手前の扉を開け、手招きを受けて中に入ると、そこは脱衣所。

……にしては、広い気もするが。




「その奥がお風呂。右の扉がトイレ。左の扉は入っちゃ駄目だよ」

「左は何があるんじゃ?」

「それは乙女の秘密ー」




適当にはぐらかし、は脱衣所を後にした。

左の部屋には鍵がかかっている。だから仁王がその部屋に興味があろうと無かろうと関係ない。

そのままリビングへ足を運び、自分の部屋に入って濡れた服を着替える。




「………におちゃんの服…見繕わなきゃ…」




それはつまり、あの部屋に入らなければいけないという事。

脱衣所の左の扉ではなく、リビングを挟んでこの部屋の反対にある部屋。



は意を決したように自室を出て、向かいの部屋の前で立ち止まった。

ゆっくりと、は吐き気を抑えながらドアノブを手にし、―――思い切り引いた。




「…………え?」




目をぱちぱちと何度も瞑る。

見間違いじゃない。吐き気も止まった。




これは…誰の部屋?




「…え、………えぇっ?」

「どうしたんじゃ、素っ頓狂な声して」

「あ、におちゃ………んに゛ゃぁぁぁぁぁぁっ!!??」




の叫び声に仁王は耳を塞ぐ。

そんな仁王の姿は、パンツ一丁に首からタオルをかけただけ。




「に、におちゃっ、服! 服着て!!///」

「洗濯中じゃ」

「知ってるよ!///」

は可愛いの」




ニヤニヤと笑いながらこっちに近寄ってくる仁王。

は視線をななめ下にして、顔を真っ赤にした。




「そんで、一体何があったんじゃ。虫でもいた、か………」




そのままのすぐ側まで来て、仁王は同じく部屋を見て言葉を途切れさせる。




「………何で俺の部屋がある」

「へっ、これにおちゃんの部屋!?」




しばらくぶりに見た懐かしいものに、仁王の心もどこか軽くなる。

部屋に足を踏み入れ、家具の配置を確かめながらクローゼットに向かう。

そこから適当な服を手にし着ると、どこからかひらひらと何かが落ちてきた。




「…何じゃ?」

「紙みたい…」




床に落ちた紙を拾う




「あ……」




露骨に変える表情を見て、仁王も送り主に気づいた。

今度は何だと、の後ろから覗き込む。




『いやいやー、いいんですよお礼だなんてそんな!』




破いた。




「ちょっ、におちゃん!?」

「誰が感謝するか…」

「でも、におちゃんも自分のものがあったら何かと便利でしょ? 着替えとかもそうだし…」

「元々あった部屋が無くなっとるじゃろが」

「!」




ぴくりと、笑顔を強張らせる

それは、雨の中で見せた顔。




「…大事な部屋だったか?」

「ううん、そんな全然、全く、…だって」




首を横に振り、は視線を下げた。




「…無くなってくれて、良かった」

「…………」




仁王はその細い肩に、手を伸ばそうとして―――




「あ」




仁王の手が触れる直前、はその場にしゃがみこんだ。

何かを見つけ拾ったのは、破いたはずの、店長からの手紙。




「嘘…におちゃんが破いたのに…」

「…まさかあいつ、見とるのか」




そう言って二人で紙面を見る。




『酷いです痛いです悲しいです嘘です。

 さてさて、すでにお解りの通り雅治さんにはさんの家で生活して頂きます!

 良かったですねぇ、美少女との同居生活! 萌えですねぇwww』




再び破ろうと仁王が手を伸ばし、はそれを牽制した。




『何故かって? それは貴方がたが自ら選んだ道筋だからですよ。

 なに、ほんの少しの時間です。雨が止む間。ほんのそれだけの時間ですよ―――』




「……はい、におちゃん」

「……おう」




から仁王の手へと移った手紙は、二度目の制裁を喰らった。




「うーん、こうやって部屋もできちゃったし……住む?」

「…そんな軽々しく言うもんじゃなかよ。大体お前さんの親にも言わんといけんじゃろ」

「ああ、そんなのいいよ」




しれっと言う

仁王はその顔を見て、目を細めた。




「だってウチ、親、いないもん」




満面の笑みだった。




「出てったんだ。だから私、ここで一人暮らしなの」

「…………」

「そんな顔しないでっ? ほ、ほらっ、こんないいマンションに住めて、お金だって毎月必要な分は振り込まれてるし、それに…っ!!」

「…

「…………っ」

「……お前さんは馬鹿じゃな」




仁王は、の腕を取って、自らの腕の中に閉じ込めた。




「そんな泣きそうな顔堪えてまで、笑う必要がどこにある?」

「にお、ちゃ……」

「泣け。…どうせ今まで、一人で泣いとったんじゃろ。…こんな広い場所で」

「……ぅ、あ……っ…」




ぎゅっと仁王のシャツを握り、嗚咽を上げて泣き出す

仁王は腕に力を込め、を抱きしめ続けた。




「わた、し…っ……何が、駄目、だったんだろ……っ?」

「……親に、嫌われたんか?」

「違っ……、けど、どう言ったらいいか…解んな…っ…」

「すまん。なら、言わんでいい」




彼女に何があったのか。

親がどうしていないのか。

あの『左の扉』には、何があるのか。



今はまだ解らない。聞いてもきっと教えはしないだろう。




「…ごめん、ね…もう大丈夫。大丈夫だから…」

「…………」

「におちゃん?」

「8回」

「へっ?」

「におちゃんて言った」

「かっ、数えてたの!?」

「だから」

「え………」




「あと8分、このままじゃ」




何故、あの男に選ばれたのがなのか。

何故、自分はの元へ帰ったのか。



解らないことはひとまず置いておいて、仁王はを抱きしめた。












何処へ行くも自由なはずなのに









におちゃん手ぇ早いよ。笑

さぁ、今回も素敵店長の名言が飛びましたね!

…あ、そういう話じゃない…。はい、スイマセンorz

とりあえずこれからの展開にご期待クダサイ!





top  back  next